大判例

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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)2964号 判決

控訴人(原告亡清水武男訴訟承継人)

清水明

外九名

代理人

森景剛

被控訴人

清水四郎左衛門

代理人

大野好哉

外一名

主文

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人等に対し別紙(一)目録記載の不動産につき東京法務局北出張所昭和参拾参年五月弐日受付第壱〇七四壱号及同日受付第壱〇七四参号を以てなされある所有権移転登記、別紙目録(二)の不動産につき同出張所同日受付第壱〇七四壱号を以てなされある所有権移転登記及び別紙目録(三)の不動産につき同出張所同日受付第壱〇七四参号を以てなされある所有権移転登記の各抹消登記手続をなすべし。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

《前略》

二そこで、被控訴人が亡弥一郎の自筆証書を隠匿したものであるかどうかについて判断する。

〈証拠〉をあわせると次のような事実を認めることができる。

1  亡弥一郎は昭和三十年二月十六日分家の清水福太郎、とり立会の上妻清水くらと連署で、住宅一棟物置一棟、宅地四百四十六坪、田地五千六百七十二坪からなる全財産を長男である被控訴人に無償譲渡する旨の「遺言証」を作成し、これを被控訴人に交付したこと、当時亡弥一郎の四女神山成子は未だ神山家に嫁す前で亡弥一郎、清水くら及び被控訴人と同居し、右「遺言証」が作成され、これが被控訴人に交付された事実を知つていたこと

2  ところで、被控訴人は父弥一郎の死亡後、かねてから被控訴人の居住する近辺で長男のみが全相続財産を包括的に相続している例のあることを聞き知つていたので、昭和三十年十月六日頃豊島簡易裁判所附近の司法書士のもとを訪れ、全遺産を単独で相続するにはどうしたらよいかを相談したところ、司法書士から右遺言書によらず被控訴人以外の全相続人に相続放棄をしてもらうのが一番簡便であるとの助言を受けたこと、しかるにその時はすでに亡弥一郎の死亡から三箇月になんなんとし相続の承認又は放棄をなすべき期間満了の直前であつたので、被控訴人は右同日右司法書士の勧告に基き事後に了解を得ることとし、無断で有合わせ印を使用して急拠亡清水清を除き当時存命の亡弥一郎の相続人九名の名義を以て、相続放棄の期間伸長の審判申立書を作成してもらい、これを東京家庭裁判所に提出したこと、ところで、昭和三十年十一月十六日頃同家庭裁判所において右申立に基く調査がなされたところ、右申立は被控訴人が他の相続人には無断でその名においてしたものである上、その相続分の放棄に同意しているものとみられるのは、僅かに亡弥一郎の妻清水くらと、亡清水武男、控訴人田島ハナ、田中重子郎及び神山成子のみであつて、他の相続人、ことに亡清水清は相続放棄をする意思はなく、相続分に応じて亡弥一郎の遺産を分割すべきことを主張しており、かつまた相続放棄の申述期間の伸長をなすべき理由は全く存しないことが明らかとなつたので、東京家庭裁判所は被控訴人及び控訴人等相続人に対し右申立を取下げるよう勧告し、右申立は同日頃取下げられたこと

3  ところが、被控訴人は亡弥一郎から、「遺産証」なる自筆遺言書の交付を受けて以来これを保管していたが、東京家庭裁判所において右の調査がなされた際にあつても本件遺言書の存在及びその内容を同じ相続人である控訴人等には一言も洩さず、これを知る末妹神山成子も他の相続人である控訴人等には被控訴人の保管する遺言書の存在については全く話をしなかつたこと、しかも、被控訴人は控訴人等なかでも亡清水清及び控訴人清水敏男がしばしば亡弥一郎の遺産の幾分かを分けてくれるよう頼んでも言を左右にしてこれを相手にせず遺産の分割をしようとしなかつたこと

4  しかるところ、昭和三十二年八月頃被控訴人は王子税務署から亡弥一郎の遺産相続による相続税の納付の件につき呼出を受け、その相続の実情等について質問されたので、自己の保管する本件遺言書を持参してこれを示したところ、担当税務署員から右遺言書によつて遺産を包括承継するには法律専門家に相談するのが最も良策であろうとの示唆を得たこと、そこで、被控訴人は同区内に居住する大野好哉弁護士のもとに赴いて右遺言書によつて亡弥一郎の遺産全体を承継する方途について相談したところ、同弁護士から右遺言書に基き本件各不動産につき被控訴人への所有権移転登記をする等これを執行するには、まず何よりも家庭裁判所の検認を受ける必要がある旨を教唆され、その指示に従い昭和三十二年八月十二日東京家庭裁判所に対し本件遺言書による遺言の執行者選任の申立を、翌十三日本件遺言書検認請求の申立をし、同年九月六日同家庭裁判所において大野好哉弁護士を遺言執行者に選任する旨の審判がなされるとともに、本件遺言書の検認期日が開かれ、相続人のうち清水くら及び左眼緑内障等のため出頭できなかつた控訴人清水敏男を除き他の相続人である被控訴人、亡清水武男、控訴人山上ま津、矢作てる子、控訴人田島ハナ、控訴人田中重子郎の法定代理人田中八重、亡清水清及び神山成子が出頭し、その尋問陳述が行われ、検認の手続がなされたこと、ここにおいてはじめて亡清水武男、控訴人山上ま津、矢作てる子、控訴人田島ハナ、田中八重及び亡清水清は亡弥一郎がその所有していた不動産を包括して被控訴人に遺贈する旨の遺言が存在していることを知つたこと、しかして大野弁護士はその後亡弥一郎の遺産につき財産目録を九通調製したが、被控訴人が他の相続人に交付するというので、調製した財産目録を九通全部被控訴人に手交したところ、被控訴人は右財産目録全部を自らの手にとどめ、他の相続人には一通もこれを交付しなかつたこと

以上のように認められる(以上認定の事実のうち、昭和三十年十月六日東京家庭裁判所に対し相続放棄の申述期間伸長の申立書が提出され、同年十一月十七日右申立が取下げられたこと及び被控訴人が昭和三十二年八月十二日同家庭裁判所に対し亡弥一郎の本件遺言書につき遺言執行者選任の申立を、翌十三日右遺言書検認請求の申立をなし、同年六月六日東京家庭裁判所において大野好哉弁護士を遺言執行者に選任する旨の審判がなされるとともに本件遺言書検認の手続がなされたことは当事者間に争がない。)。右認定に反する〈証拠〉は措信することができない。就中、被控訴人が亡弥一郎の葬儀の行われた昭和三十年七月八日頃出棺直前に控訴人等相続人に対し本件遺言書の存在とその内容を知らしめたとする右各証言及び供述は前掲〈証拠〉に照らしとうてい措信することのできないものといわざるを得ない。

右認定の事実によつて考えると、被控訴人は「遺言証」なる本件自筆遺言書の交付を受けていながら、被控訴人である亡弥一郎の生前はもとよりその死亡後も他の相続人である控訴人等ことに亡清水清及び控訴人清水敏男から異議の出ることを恐れ、控訴人等に対しては右遺言書の存在を固く秘匿し、亡弥一郎の死亡後相続の承認又は放棄をなすべき三箇月の期間満了間際の昭和三十年十月六日頃法律知識のある司法書士に本件遺言書のとおり亡弥一郎の遺産全部を自分独りで承継取得する方法について相談した結果、控訴人等を含む他の相続人全員に相続の放棄をさせるよりほかによい方法がないとの結論に達し、時あたかも右相続放棄の申述をなすべき三箇月の期間の満了間際であつたので、同日取敢えず他の相続人の名義をも冒用して東京家庭裁判所に右期間伸長の請求をし他の相続人全員に相続放棄をさせようとしたが、亡清水清等が放棄を肯んじなかつたため右の方策は不成功に終り、そのまま亡弥一郎の遺産相続については何等の処置もなされずに打ち過ぎていたところ、亡弥一郎の死亡後二年余を経過した昭和三十二年八月頃相続税の納付の件で税務署に呼出されたことが契機となつて大野好哉弁護士に相談し、亡弥一郎の遺言の内容の実現を図るため東京家庭裁判所に対し遺言執行者に同弁護士を選任すること及び本件遺言書の検認を請求し、ここにはじめて控訴人等を含む他の相続人に対しても本件遺言書の存在を公表するに至つたものであつて、被控訴人は亡弥一郎の死亡後直ちに本件遺言書を公表するときは、控訴人等他の相続人から遺留分減殺請求権の行使を受け、本件遺言書のとおり亡弥一郎の遺産全部を自分独りで取得できなくなることを恐れ、亡弥一郎の遺産全部を何んとか独りで承継しようとして亡清水清及び控訴人清水敏男等の遺産分割請求を郤け、相続税納付の必要に迫まられて本件遺言書の検認請求をなすまでこれを公表せず、本件遺言書を隠匿していたものと判断するのが相当である。

そうとすると、被控訴人は本件遺言書により亡弥一郎からその全遺産の遺贈を受けたが、相続に関する被控訴人の遺言書を隠匿した者として、民法第八百九十一条第五号及び第九百六十五条の規定により、亡弥一郎の遺産について受遺者たるの資格のみならず相続人たるの資格をも失つたものといわざるを得ない。

三しかるに、被控訴人は控訴人等の相続回復請求権はすでに時効により消滅した、と主張する。

相続回復の請求権が相続権を侵害された事実を知つた時から五年間これを行わないときは、時効によつて消滅するものであることは民法第八百八十四条の規定の明定するところである。本件で問題となるのは、時効の起算点である「相続権を侵害された事実を知つた時」が何時であるかという問題であるが、右にいう「相続権を侵害された事実を知つた時」とは被相続人の遺産の全部又は一部について、無権利者により、明示的には又は黙示的に、真正の相続人を排除して相続、遺贈等によつて権利を取得したとの主張がなされた事実が存在し、真正の相続人がこの事実を知つた時をいうものと解するのが相当である。

ところで、〈証拠〉をあわせると、被控訴人は亡弥一郎の生前これと同居し、生計を一にしていたものであり、亡弥一郎の死亡後も同人と同様にその遺産である本件各不動産について固定資産税の納付及び地代の収取をする等これを管理していたことを認めることができる。しかし、さきに認定したように、被控訴人は控訴人等に対し、亡弥一郎の死亡後本件各不動産を被控訴人に遺贈する旨の前示遺言書の存在を秘匿し、控訴人等も本件遺言書の存在を知らず、従つて被控訴人が本件各不動産の全部を自己単独の所有に帰したものとして管理しているものとは考えていなかつたことが明らかであるから、被控訴人が亡弥一郎の死亡後同人と同様その遺産である本件各不動産を管理しており、控訴人等がこの事実を知つていたからといつてこのことから直ちに控訴人等が被控訴人によつて自己の相続権を侵害された事実を知つたものということはできない。

次に、昭和三十二年九月六日東京家庭裁判所において行われた本件遺言書検認の際、出頭した亡清水武男、控訴人山上ま津、矢作てる子、控訴人田島ハナ、田中八重(相続人田中重子郎の法定代理人親権者)及び亡清水清がはじめて本件遺言書の存在を知るにいたつたものと認められることはさきに説示したとおりであり、また、〈証拠〉からすると、控訴人清水敏男は右検認期日に出頭しなかつたが、亡清水清の隣家に居住していたことが認められるから、同控訴人もまた同じ頃本件遺言書の存在を知つたものと推認することができる。しかし、〈証拠〉をあわせれば、控訴人等(控訴人清水明、長司、信子及び錠子については亡清水武男、控訴人清水道子、信義及び静子については亡清水清)は、被控訴人から、同人がこれらの者を含む他の相続人を排除して本件各不動産の単独の所有者となつた旨を告げられたこともなく、また、前示のような内容の本件遺言書があるだけでは控訴人等の相続権が否定されて本件各不動産が被控訴人の単独所有となつたものとは考えず、本件各不動産は被控訴人及び控訴人等を含む相続人全員の共有となつているものと信じていたこと、しかるに亡清水清及び控訴人清水敏男は昭和三十八年八月頃被控訴人が亡弥一郎の遺産である不動産を売却して住居を新築していることを知り、被控訴人が他の相続人である自分達の同意を得ずして亡弥一郎の遺産を売却できることに疑問を持ち、計理士の島村某とともに三名同道の上登記所に赴いて亡弥一郎の所有であつた本件各不動産の登記簿を調査したところ、前記認定のように本件不動産について昭和三十三年五月二日受付で被控訴人のため遺贈を原因とする所有権移転登記がなされていることを発見し、ここにはじめて控訴人等を含む被控訴人以外の相続人が本件各不動産について相続から排除されていることを覚知したことが認められる。〈証拠判断・省略〉。

右認定の事実によれば、法律知識に乏しい控訴人等としては、本件遺言書の検認を機会に右遺言書の存在を知つたが、被控訴人が遺言書を隠匿したかどにより受遺者及び相続人たるの資格を失つたことに気づかなかつたことはもとより、亡弥一郎の遺産は被控訴人を含む相続人全員において共同相続をしたものと信じていたことも無理からぬことというべく、民法第八百八十四条の規定の適用の関係においては、控訴人等が本件遺言書検認の際遺言書の存在を知つたとの一事から直ちにその相続権を侵害された事実を知つたものということはできず、控訴人等が右事実を知つた時期を、昭和三十八年八月頃に行われた亡清水及び控訴人敏男による本件各不動産の登記簿調査の時より以前に遡らせることはできないものと解するのが相当である。

被控訴人は亡弥一郎死亡の時か、又は本件遺言書検認の時に控訴人等が相続権を侵害されたことを知つたものと主張するが、上に説示したとおり、右主張は採用し難いものといわなければならない。

しかして、控訴人等が被控訴人に対し本件訴訟を提起したのが昭和三十八年八月から起算して五年以内であることは本件記録に徴し明らかであるから、控訴人等の相続回復請求権は時効により消滅したものとはいうことができず、被控訴人の消滅時効の主張は理由がない。

《後略》(平賀健太 岡本元夫 鈴木醇一)

別紙目録(一)ないし(三)《省略》

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